上杉謙信は卑怯な手を使わない正義の武将を物語るエピソード

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上杉謙信名言集(武将感状記・上杉謙信公家訓)

われは兵をもって雌雄を戦いで決せん。塩をもって敵を苦しめることはせぬ。
上杉謙信(武将感状記)

1.「敵に塩を送る」という諺がある。敵が苦しんでいる時に、かえってその苦境を救ってやるという意味だが、それは武将感状記の上杉謙信の故事からきている。

謙信は14歳にして、病弱で武将の器量にも欠けた兄晴景を助けて、初陣ながら近隣の敵を打ち破った。これ以降、勇猛果敢にして、天性の軍事的才能を有し、権謀術数にも長けて、越後の虎と恐れられた。

その一方で、観音菩薩の信者だった母虎御前の影響を受け、さらに少年時代から林泉寺(新潟県上越市)の名僧天室光育禅師の薫陶によって、武神である毘沙門天に帰依して、「毘」を戦いの旗印にした。よってその戦いは慈悲があって、相手の弱みに付け込まなかった

永禄10年(1567)、武田信玄は嫡子の義信をその確執から自害させ、今川氏出身の夫人を駿府に送り返した。翌年には甲斐・相模・駿河の問で結ぼれていた三国同盟を破って、駿河に侵攻する。

そこで今川氏真は相模の北条氏康とはかって、信玄の領国への塩の輸送を、塩商人に命じて全面禁止した。信玄が治める甲斐と信濃は山国で、塩は取れない。塩は人の命でもある。

ここに謙信が氏真と氏康に協力して、日本海側からの塩の道を絶てば、甲斐・信濃の領民の死活問題になった。しかし謙信はこれを聞いて、戦いは正々堂々とするものであって、人の弱みに付け込んで姑息な手段を取るべきではないとした。

そして謙信は蔵田五郎左衛門に、信玄の領国に塩を送るように命じた。 かくて、姫川沿いにさかのぼる糸魚川からの千国街道を通って、永禄12年(1569)1月11日、塩は松本にもたらされた。

甲斐信濃の民衆は謙信の心遣いに感謝し、またその徳をしのんで、この日に毎年、塩市を聞いた。塩が国の専売事業になる明治時代まで続いたが、国の専売化により塩売買が禁止されてからは、飴市に形を変えて今に至る。

信玄も謙信に一振りの太刀を贈って、謝意を表した。その太刀は塩留めの太刀と呼ばれて、東京国立博物館に現存する。

また、信玄の子の勝頼が長篠の戦いで敗れた時、この虚を突いて、信濃に攻め込むように家臣が進言したが、謙信は「今攻めれば甲斐までも奪えるだろうが、人の落ち目を見て攻め取るのは本意ではない」といって、ついに武田の領国に出兵しなかった。謙信は正義の武将といえた。


心に気にかかる物のない時は、心は広く体も安らかである。
上杉謙信(上杉謙信公家訓)

2.山形県米沢市の米沢城内の上杉神社に、上杉謙信の家訓碑がある。新潟県上越市の春日山下にある林泉寺(新潟県上越市)にも同じ家訓が掲げられる。その家訓は全部で十六か条からなる。

冒頭のものはその第一条である。短いので、第二条以下のすべてを記すことにする。 「心にわがままのない時は、相手への愛と敬いの心を失わない/心に欲のない時は、道理ある正しい道を進む/心に私がない時は、疑うことをしない/心に驕りがない時は、人を尊ぶ/心に誤りがない時は、人を畏れない/心に邪見がない時は、人を育てる/心に貧りがない時は、人に詔うことがない/心に怒りのない時は、言葉が和やかである/心に堪忍がある時は、物事を調えられる/心に曇りがない時は、心は静かである/心に勇がある時は、悔やむことがない/心が賎しくない時は、無理な願いをしない/心に親への孝行心がある時は、主への忠節も厚い/心に自慢のない時は、人の善を知り/心に迷いのない時は、人を咎めない」

謙信は幼い時は虎千代と呼ばれ、観音を深く信仰する母虎御前から仏の功徳をいつも説いて聞かされた。その一方、城攻めの模型をおもちゃにして遊んだとされ、英雄謙信としての未来像を幼い虎千代に、すでに見出すことができるのだ。

7歳の時に父長尾為景の死に遭遇し、菩提寺だった林泉寺の天室光育に預けられた。はっきりしないが、謙信には三人の兄がいたとされ、謙信は本来なら林泉寺の僧として人生をまっとうしたはずだった。しかし運命は彼を戦国の武将へと引きずり出した。

だが、寺で学んだ精神は武将となっても消えなかった。謙信は子どもの時から思ったことを隠さずいう、真っ直ぐな性格だった。その性格が、厳しい禅院の座禅を主体とする修行で磨かれる。文武の修養も加わって精悍な武将に大成するが、その根本にあるのは、仏門の教えにもとづく潔癖な倫理観であった。

北条氏康は「武田信玄と織田信長は表裏があって頼むに足りない。ただ謙信のみは、請け合った上は、骨になるまでも義理を違えない。謙信の肌着を分けて、若い武将の守り袋にさせたく思う。

われがもし明日にでも死んだら、後を頼むべきは謙信である」(「名将言行録」)といっている。 謙信の家訓には、潔癖な倫理観と、氏康をしてそういわしめた精神がみなぎっている。



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