1.内藤昌豊は軍師の筆頭格で武田四天王では最も地味だった
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内藤昌豊
戦術6
知力8
政治力7
忠誠心8
運7
武田四天王では最も地味な存在だった
山本勘助や真田幸隆など、
武田信玄は多くの軍師を使いこなした。軍師をうまく使うのも名将の資質だ。なかでも、信玄が最も信頼して重用したのが内藤昌豊だった。
軍師の筆頭格、現代戦でいうところの参謀総長といったところか。譜代の家柄、だが、父が武田信虎によって粛清され、出奔して諸国を流浪した時期がある。
信玄の代になって武田氏に呼び戻されて最雇用されたが、それまでの半生で様々な苦労を経験している。
また、流浪した経験から、諸国の事情にも精通していたのだろう。信濃や上野など、他国への侵攻を目論む信玄にとっては最良のブレーンだった。
家中の名門である内藤氏を相続する厚遇を受けたのも、その能力を買われてのこと。やがて、昌豊は合戦や調略などにマルチな才能を発揮して、信玄の弟・武田信繁とならび武田氏の「副将」と呼ばれるようになる。
やがて
内藤昌豊は山県昌景、馬場信春、高坂昌信らとともに「武田四天王」と称せられるように
なる。この四天王の中にあって昌豊の印象は最も地味な感じもあり、そこが軍師と前線の部隊長の違いだろうか
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