香川県・丸亀城|小さい天守が北側を正面している珍しい城の理由
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丸亀城(香川県丸亀市一番丁)
丸亀城について
丸亀城は、安土桃山時代の慶長2年(1597)に生駒親正が丸亀平野の亀山に築いた城です。
豊臣秀吉に信任された親正は、天正15年(1587)に讃岐国高松を与えられて入国し、高松城を居城としていました。
しかし、老齢に達したので、東讃岐を隠居領にあて、西讃岐を嫡男の一正に譲り、丸亀城を建てて城主としたのです。慶長5年に関ケ原合戦が起こりましたが、親正は西軍の
石田三成方、一正は東軍の徳川家康方と、父子が東西に分かれてしまいました。
戦後、勝者の一正は讃岐一国を与えられて高松城を居城とします。丸亀には城番が置かれましたが、元和元年(1615)の「一国一城令」で廃城となりました。寛永18年(1641)に入国した山崎氏によって修復され城として復活します。
その後、城主は京極氏となり、明治維新まで続きました。
丸亀城は、平野に独立した66メートルの小山を利用した平山城で、山頂部に本丸を置き、階段状に二の丸・三の丸を配し、これらすべてを石垣で囲うという堅固なものです。内堀から4段階に積み上げられた石垣は、通算するとわが国で一番高い石垣であるといわれています。
丸亀城は標高66メートルの亀山に、三段から四段に積み重ねた石垣が圧力ある景観をつくる。正面の大手桝形
虎口から午後に旭山を眺めると(午前中は逆光)、亀山山頂の天守が高石垣上に瀬戸内を睥睨する形で堂々とあがる。
一方、逆に搦手方向の南から亀山を望むと、高石畑が幾重にも複雑に入り組み、防御の周到さが感じられる。いずれにせよ丸亀城は、この高石垣の美しさで訪れる人を魅了してやまない。高石垣の大手側の三段の総高(段々の合計高)は、37メートルに及び、総高では日本一である。
海抜66mの亀山を利用して築かれた丸亀城は、内堀から天守へ向かって幾層にもなる石垣の見事さで名高く、この石垣が日本一小規模な現存天守を雄大に見せている。
特に、二の九の石垣は日本一の技術で積まれ、頂へ向かって美しく反り、扇を開いたようなフォルムから「扇の勾配」と言われている。
石垣を手がけたのは石工の名人・羽坂重三郎。ある日、城主は、石垣のでき栄えを見て「これを乗り越えられるのは鳥しかいまい」と讃えた。
その言葉を聞いて有頂人になった重二郎は「私なら」と鉄棒を使って石垣に登ったという。石垣を乗り越えてしまった重二郎が敵に通じるのを恐れた親正は、彼を二の丸井戸に入れ、上から石を落として殺したという伝説が残っている。
こうしたエピソードを残すほどに高く、見事に積まれた石垣は、現在も天守とともに丸亀の街を見守っている。
生駒親正が讃岐17万石に封じられたのは、天正15年(1587年)の秀吉が島津攻めを終え、西日本を平定した年。山麓から山頂まで四重に重ねられた日本一高い総高60mの石垣は、生駒親正の使命が水軍拠点の築造にあったことが窺える。
現存天守は頂部の本丸に位置し、高さは15mと現存三重天守の中でも最も小規模である。現在、城祉一帯は史跡で亀山公園となっている。
現存する木造三重
天守の中では最も小さいものですが、総高60メートルの日本一高い
石垣の上に建っているためか、実際よりも、その姿は大きく、威風堂々と見えます。
慶長2(1597)年、生駒親正・一正父子によって築かれた丸亀城は一国一城令で破却の対象となり、生駒氏は改易、二分された讃岐国の西部は山崎家治の所領となるも、山崎氏も改易され、万治3(1660)年、次に城主となった京極高和によって天守が完成されました。
天守が北側を正面している珍しい城
ここの特徴は、何といっても、天守が北側を正面としていることでしょう。通常、天守は南側が正面のものが多いのですが、これは北側。
なぜかと言えば、天守の北側に瀬戸内海が広がっているからです。丸亀港は金毘羅宮の玄関港として栄えてきたところ。
江戸時代には各地から、船がこの丸亀港を目指してやってきました。
そうした瀬戸内海を通る船から見えるように、ここは天守が北側を向いているというわけです。ですから北側正面には、唐破風や下見板張り、格子窓などの装飾が施してあり華やかですが、天守への入り口のある西側は非常に簡素になっている。ここもこの顔の違いが見どころのひとつですね。
見どころ&城情報
現存みどころ 石垣
丸亀城天守は北側の初層を下見板張で大きな石垣をつくる。またニ層目に置唐破風をつくり、北側正面から見て大きく見えるよう工夫を施している。天守ほか枡形虎口が現存する大手門も見どころ。
イベント
まるがめ婆裟羅まつり
丸亀市のイベント。婆裟羅(ばさら)とは、自由気ままや過去にとらわれない気風のことを意味する。婆裟羅ダンスとよばれる風起を踊るエネルギッシュな2日間の夏のイベント。期間8月末頃
丸亀城
国重要文化財 天守、大手一の門、大手二の門
別名 亀山城(かめやまじょう)
分類 平山城
築城年 慶長2(1597)年
築城主 生駒親正、一正
主な城主 生駒氏、山崎氏、京極氏
香川県丸亀市一番丁
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