片倉小十郎は政宗のコンプレックスをスパルタ教育で叩き直した
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片倉小十郎
戦術6
知力9
政治力9
忠誠心10
運10
政宗をスパルタ教育で叩き直した
1.
伊達政宗が9歳のときから、片倉小十郎景綱はその守役として仕えてきた。やがて政宗が家督を相続すると、その側近として重用される。
小十郎の家格は低く、それは異例の抜擢でもあった。政宗の父・輝宗が、人柄と資質を見抜いて指名したものだったという。それは間違いではなかった。
政宗は5歳の時に病を患って右目を失明し、そのコンプレックスから根暗で卑屈な性格になっていたという。小十郎はそれを情け容赦ないスパルタ教育で叩き直した。
相手が主君の嫡子であっても、いっさい手加減しない。切腹も覚悟していたという。聡明で学問ができるだけでは守役の仕事は勤まらない。死を厭わぬ胆力。
小十郎はそれも持ち合わせていた。
また、命がけの教育に政宗も感じるところがあったのだろう。二人の間に太い絆も生まれた。
その絆があるから、政宗は小十郎と秘密を共有することができた。主君と軍師は表裏一体。
全幅の信頼関係がなければ、お互いの役割分担もうまくいかない。
政宗が家督を相続すると、小十郎は第一の重臣として働くことになった。長年かけて築かれた絆が、ここで真価を発揮する。
小十郎と同じように、政宗が幼少の頃からその近習として仕えた伊達成実は家中きっての猛将に育ち、合戦で派手に暴れた。それに対して小十郎は内政や外交、水面下の調略を担当する。
「武の成実、智の小十郎」と異名され、政宗の両輪となって働いた。
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