彦根城のひこにゃんは井伊軍団の招き猫がキャラクターになっていた
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彦根城(滋賀県彦根市金亀町1-1)
彦根城について
慶長5年(1600)の関ケ原合戦で、朱塗の具足、いわゆる「赤備」をまとって奮戦した徳川家康の家臣井伊直政は、翌年
石田三成の旧領を与えられて居城佐和山に入り、18万石を領しました。
しかし佐和山は中世の山城で、交通が不便なうえに、戦闘形態が鉄砲主体の時代には不適当な城と判断して、新たに近世城郭を建設しようと構想します。ところが同7年、直政は関ヶ原の戦傷がもとで没しました。
後を継いだ直勝はまだ幼少でしたので、重臣の合議で計画を進めることになります。家老木俣守勝の進言により、金亀山(彦根山)を最適地として同8年から築城工事を開始しました。
幕府の命で、7ケ国12大名の助役も決まり、天下普請が開始されます。大坂城との合戦が近いこともあり、徳川方の第一線の基地として急を要するのです。そのため資材は、近くの城跡から集められました。
天守には大津城の廃材を使用しました。そのほか、
櫓や門、石垣なども小谷・安土・大津・長浜・佐和山などの近隣の諸城から移したといわれています。
そのうち大坂の陣が起こって工事は中断されました。大坂の陣終了後は、もう急ぐこともないので、ゆっくりと整備し、元和8年(1622)に完成しています。
彦根城築城当時は、禄高18万石の井伊家でしたが、病弱の兄直勝に代わり、弟直孝が大坂の陣には出陣しました。そこで数々の戦功を立てたので、兄に代わり彼が井伊家の後継者とされます。加増され35万石の大藩となりました。
以来、彦根藩は一度の国替えもなく明治維新まで続きます。代々の藩主は幕府要職に就いていますが、幕末までに井伊家から、直澄、直興、直幸、直亮、直弼の5人が大老になっています。
昭和26年に当時の文部省により、天守をはじめ各櫓力重要文化財に指定されました。同27年に天守は国宝に、同31年には彦根城一帯が特別史跡に指定されています。
彦根城天守には特異な点があります。その一つは最上階に唐破風を用いていることです。さらに、周囲を回れない勾欄付廻縁があるのもほかに類例を見ません。また2階まで花頭窓を多数配列しているのは、彦根城が唯一のものとなります。多くの天守の中でも、もっとも技巧をこらした天守といえるでしょう。
天守と並ぶ彦根城のユニークな建造物に天秤櫓があります。廊下橋を挟んで左右対象の位置に2層の櫓があることからこの名が付いたといわれています。
また二の丸の佐和口多聞櫓は、西棟力現存の重要文化財で、東棟は昭和35年に再建されたものです。堀と櫓の白壁がよく調和した美しい景観です。西の丸に足を運ぶと、かつて浅井長政の小谷城の天守を移築したといわれる3層櫓があります。
ただし、現在のものは江戸時代初期に再建されたものです。西の丸からの散歩道を行くと名勝「玄宮園」に出ます。「玄宮園」は4代藩主・直興の下屋敷であった「槻御殿」の庭園で、琵琶湖の水を引き込んだ池泉回遊式の大名庭園です。ここから見る天守も、一段と味わいのある趣です。
徳川赤備えの城、彦根城は琵琶湖に臨む丘と麓にあり、JR東海道本線の車中から彦根市街地にぼっかり浮かび上がる城が眺められる。徳川赤備えとは
徳川家康の天下統一のために戦った軍団のうち、真紅の甲冑、武器、武具で装備を固めた井伊家をいう。
井伊家は幕府大老井伊直弼でおなじみの徳川将軍家直参の宿老である。戦国時代には井伊直政が徳川四天王の一人として数々の戦功をあげ、家康が江戸入部の際には上州箕輪城と高崎城の城主となった。
関ヶ原合戦で天下人となった家康は、大坂城の豊臣方勢力を封じるため、井伊直政を佐和山城主に任じた。佐和山城は石川三成の旧居城。中山道と北国街道を押さえ、琵琶湖水運を把握する地にある。
ところが佐和山城はあまりに険しい山城だったため、軍事拠点にはなっても城下町を伴う政治、経済の中心地にふさわしくなかった。そこで直政は琵琶湖に浮かぶ磯島に城を築き、周囲を埋め立てて陸続きとすることを思い立った。
埋め立て等に必要な石材は長浜城と安土城から水上輸送したと伝えられる。こうして彦根築城は徳川幕府の直桔として近畿、北陸の諸大名へ助役を命じ敢行された。
城の建築物には天守のほか西の丸三重櫓が小谷城天守、山崎三重櫓が長浜城天守、佐和山口多聞櫓が佐和山城大手門などの移築伝承が多く残されている。中でも、馬屋は重要文化財指定物件として希少価値が高い、城祉は国の特別史跡にも指定されている。
好きなところを挙げればきりがありませんが、ほかのお城にはない優美さが感じられるところが、まず素晴らしいですね。特に
天守がきれいです。
華頭窓の金と黒の装飾はとってもエレガントですし、切妻破風、唐破風、入母屋破風などの破風も非常に美しい。そして何より、お城全体の雰囲気がよく残っているところがいちばんの魅力だと思います。
特に、いろは松を通って城内へと向かう道は非常に雰囲気があって、お侍さんが裃を着て登城していく様子が目に浮かぶようです。
13代彦根藩主・井伊直弼が不遇の時期を過ごした『埋木舎』、佐和口多聞
櫓、全国的にもここでしか見られない馬屋、天秤櫓など、見どころがたくさん。往時の空気にたっぷり浸りながらひとつひとつ味わいたくなるお城です。
彦根市のキャラクター『ひこにゃん』
慶長5(1600)年、
関ヶ原の功績によって18万石を賜った井伊直政は、
石田三成の居城であった佐和山城へ入城しますが、結局、新しい城を築くことなくこの世を去り、息子の直継によって彦根城は築かれました。
大坂城とはまだ臨戦態勢にあったため、江戸幕府の命による、いわゆる天下普請によってこの城は築かれたのです。つまり、この城は、姫路城とともに、徳川軍の最前線の城であったということですね。
「近江を制する者は天下を制す」とも言われた時代、琵琶湖周辺の地域を巡って覇を争った戦国武将の名残を感じられると、また見え方が違ってくるでしょう。
それから、彦根市のキャラクター『ひこにゃん』は、彦根藩2代藩主・井伊直孝公
寺の門前で手招きして雷雨から救ったという招き猫がモデルになっていることをご存じでしたか?被っているのは井伊軍団のシンボルである「赤備え(戦国時代の軍団編成のひとつで、武具を朱塗りにした部隊編成)」の兜なんです。
見どころ&城情報
現存みどころ 天守の平側
移築されるときに旧大津城天守にあった窓のほか、新しく現地で付け加えられた破風と窓がある。このため彦根城は、破風と窓のデコレーション天守とよばれる。
妻側には上より入母屋、唐破風、大入母屋、切妻破風ふたつ。平側には唐破風、千鳥、掘切妻が飾られる。窓は三層に華灯窓各ふたつ。二層目には妻側に華灯窓がふたつ、平側に3つ。
イベント 光の祝祭彦根城ライトアップひこね夢灯路
彦根城天守や内濠の石垣、佐和口多聞櫓などがライトアップされる。暗闇に浮かび上がる幻想的な城は、この期間にしか見ることができない貴重なイベント。紅葉と一緒に楽しむというのもまた一興。期間9月-11月頃
彦根城
国宝 天守
国重要文化財
天秤櫓、太鼓門櫓及び続櫓、西の丸三重櫓及び脇多間、二の丸佐和口多間櫓、馬屋
別名 金亀城
分類 平山城
築城年 慶長8(1603)年
築城主 井伊直継、直孝(徳川家譜代大名)
主な城主 井伊氏
所在地 滋賀県彦根市金亀町1-1
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