山内一豊と妻千代の高額の駿馬を買った逸話は作り話だった
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山内一豊名言録(藩翰譜)
この身の貧しいことほど悔しいことはない。貧乏でなければ、この一豊、信長公へのご奉仕初めに、見事、あの馬に乗って、御前にまかり出て、お褒めに与かれるものを…。
山内一豊(藩翰譜)
1.山内一豊といえば、貧しいなかで結婚した千代が、親からもらった持参金を差し出し、誰も手が出せなかった高額の駿馬を買った逸話がとくに有名である。
この話の主人公千代は、江戸時代、賢夫人の代表として称えられ、戦前の国定教科書の初等科と高等科の「小学国語読本」に取り上げられて、知る人も多い。
一豊が織田家に仕えて間もなく、
安土城下で、「東国第一の名馬だよ」といって商う者があった。だが値が高く、織田家の家人は、欲しいが誰も手が出なかった。
家に帰って、一豊は妻千代に、冒頭の言葉のようにぼやいた。すると「いっそお買いなさいませ」といって、鏡笛の底から黄金十枚(現在のカネに換算して約180万円)を取り出し、一豊の前に差し置いた。
びっくりする一豊に千代は「このおカネは嫁ぐ時、父が『決して普段の時には用いてはならぬ。お前の夫の一大事の時に使うのだ』と戒めてくださったもの。このたび京都で天覧の馬揃えがあると聞きます。これは天下の見物です。織田家に仕え始めたばかりのあなた様が、良い馬にお召しになり、信長公にお目見えしていただきたいと思ってのことです」といった。
喜んだ一豊が、その馬を求めて、馬揃えに出ると、案の定、信長の目にとまった。しかも信長は子細を聞いて「東国第一の馬を遠くから引いて来て、空しく帰らせたならば、それは織田家の恥となった。
山内は数年、浪人をしていたと聞く。家も貧乏だっただろうに、駿馬を買うとは見上げたもの。信長の家の恥をすすいだ上、弓箭を取る武士たる身のたしなみとして、これに勝るものはない」と褒め、これより一豊は次第に出世したという。
しかし人口に膾炙されるこの逸話は作り話である。
信長に一豊が仕えた事実はなく、馬揃えがあった天正9年(1581)には、千代は播磨国におり、羽柴秀吉の家臣だった一豊は毛利攻めの戦線にあった。しかも千代の父親は、千代が子どもの時に死んでいた。この黄金をくれたのは、母との説、また千代ではなく、一豊の実母との説もある。
この逸話には別説もある。天正元年(1573)、北国攻めの軍装を調えるため、千代が母の形見の黄金三枚を与えたというもの。こちらの方が真実味がある。
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