1.角隈石宗は大友宗麟の軍師で呪術師的な独特の雰囲気があった
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角隈石宗
戦術5
知力7
政治力5
忠誠心9
運6
兵学や呪術など万能の知識を誇る
一時は6カ国を支配して九州の覇者となった大友宗麟。その躍進は名軍師・角隈石宗の存在が大きかったという。
石宗は兵法に詳しい軍学者だったが、陰陽道や占術、気象学にも詳しく呪術師的な「軍配者」の雰囲気も色濃く漂う。
軍配者から近世的な参謀型の軍師へ移行する過渡期の人物でもあった。
石宗は物静かな人格者で、呪術を操る者らしく常人にはない神秘的な雰囲気も漂っていたという。そのため家中の者たちも、石宗を信奉し、石宗の考える策なら必勝だと信じた。
大将や兵たちの信頼があれば、軍師の策もその効果は倍増する。味方を信頼させ、その信頼
を力に変える。それが、石宗による勝利の方程式だった。
しかし、その勝利の方程式が崩れる時がやってくる。宗麟は晩年に、九州をキリスト教王国にするという夢想に取り憑かれ、日向への侵攻を開始。耳川合戦で島津氏の軍勢に大敗を喫してしまう。
石宗は宗麟の無謀を諌言したが聞き入れられず、必敗を覚悟して従軍したという。大友氏の兵はキリスト教徒ばかりではなく、神道や仏教の信者も多かった。「キリスト教王国建設」のスローガンでは、家臣たちは納得しない。キリスト教徒と他教徒の争いを誘発してしまい、家中はガタガタだった。
石宗を信じ、心ひとつに一丸となって戦った大友軍団とはまったく別物に変わり果てている。この戦いで石宗は壮絶な戦死を遂げたが、出陣に際して屋敷内を整理し、最初から死を覚悟していたといわれる。
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