1.多胡辰敬は博打をせず人の和・結束がいかに重要かを説いた

更新日:

多胡辰敬名言集(多胡辰敬家訓)

自分が出世して知行の主人となって、権力を持とうとするならば、ます人に親切にし、人の悪事を悲しみ、人の善きことを喜び、人の役に立つことである。
多胡辰敬(多胡辰敬家訓)

多胡辰敬という武将を知る人は、山陰尼子氏に詳しい人を除いて、まずいないであろう。辰敬は出雲国の守護代だった尼子経久の奉行を勤めた忠重の子として、明応二年(1493) に生まれた。

『多胡辰敬家訓』で「酒と博打と女の三か条は人の正気を失わせるので慎め」といっているが、先祖の重俊・重行・高重の三代は博打の名人だったと「家訓」で告白している。

だが祖父俊英が博打断ちして、応仁の乱で上京し戦功を立てた。 辰敬も12歳で上京して山陰守護の京極政経のもとで奉公し、25歳から諸国を放浪して見聞を広め、38歳の時に出雲国に帰って、尼子氏に仕え、石見国刺賀の岩山城(島根県大田市)の城主になった。

その辰敬は、自分が人並みに出世できたのは、博打とか銭勝負を嫌ったからだといっている。そしてこの「家訓」は、岩山城時代に、父親を早くに失った、名前は不明だが身分のある若者に対して残したものである。

冒頭の言葉は、辰敬がその若者に、他人に尽くして人望を得ることが、出世して大身になる秘訣であると説く。

「他人の悪い噂は、たとえ親子であってもいってはならない。どうしてもいいたい時は、昔の人のことに置き換えて語るがよい。そうすれば、人も自分のことをよくいってくれ、役にも立つ」という。

辰敬は「人の身の内なる宝は智恵と才覚であり、身の外の宝は人である」ことを強調する。

「大きな竹は一本か二本では雪に折れる。薮に群生する竹は折れない。力ある者でも一人では心もとない。親類や知人がたくさんいて、心を一つにしていれば、他人の妬みも少しも怖くない。また敵が攻めてきても、力を合わせて戦えば恐れることはない」

「この心得は諸事にわたっていえることである。一人で10日かかる普請を、10人で一日でやった方がはるかに効率がいい。力石も一人ではあげられなくても、8人でならあげられる。これは衆力の強みである。されば思案なども、智者1人よりも愚者3人の方がよい。数多くの人たちが心を一つにしての言葉には、道理にかなったことがあるものだ」という。

戦国を生き抜く武将にとり、人の和・結束がいかに重要であるかを懇切丁寧に語るのだ。



この記事を見た人は、一緒にこんな記事も読んでいます!
ナビ
Page Top