立花道雪は宗麟に代わって家臣を統制し勢力が衰えるまで大友に尽くした

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立花道雪

戦術7
知力6
政治力8
忠誠心10
運5

軍略だけではなく在地勢力の統制でも力を発揮
1. 大友宗麟がクーデターで家督を奪った時、これに協力して戦った功臣。出自が大友氏の一族でもあり、宗麟が最も信頼する腹心である。

若い頃に落雷を受けて足が不自由になったが、家臣の担ぐ輿に乗り、最前線で味方を鼓舞して指揮を執ったという猛将。宗麟に代わって、家臣を統制し軍を率いて戦うことも多かったという。

宗麟は晩年、酒色に耽り人格も変貌した。悪ふざけも度を超すようになり、ある時、凶暴な猿を家臣に向かってけしかける悪戯をはじめた。

主君の可愛がっている猿を斬るわけにもいかず、家臣らは狼狽して逃げまわるだけだった。 しかし、宗麟がこの悪戯を道雪に仕掛けると、道雪は落ち着き払って鉄扇で猿を瞬殺、「これでは、いつか家来に見放されますぞ!」と、一喝。主君のためにならないと思えば、命を賭けて諫言する気骨をみせる。

また、宗麟を諌めることができるのも、家中には道雪しかいない。 宗麟も道雪の言うことは素直に聞いたという。主君を正しい方向に導くのも、軍師の役回りのひとつかもしれない。

口うるさい老臣ではあるが、宗麟は道雪を最も頼りにしてもいる。道雪は筑前や筑後方面の守備を担当していたが、しだいに勢力の衰える大友氏を支え続けた。

軍略だけではなく、在地勢力の統制などでも力を発揮。道雪が健在の時には、島津氏や龍造寺氏も簡単に大友領へは侵攻できなかった。しかし、天正十三年(1585)筑後での合戦の最中に病死した。 老骨に鞭打ちながら、最後の最後まで大友氏のために尽くした生涯だった。



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