太田道灌の唯一の欠点は才能ある君主に出会えなかったこと

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太田道灌

戦術6
知力9
政治力9
忠誠心8
運1

大軍師の扱いは凡腐な主君では難しい
1.戦国時代初期、鎌倉公方の補佐役である関東官領の上杉氏は、扇谷上杉氏と山内上杉氏に分流して熾烈な権力争いを展開していた。さらに、公方家までが鎌倉と常陸の古河に分かれて正統を争う混沌とした状況。

扇谷上杉氏の家宰である太田道灌は関東の諸勢力を味方につけ、対立する山内上杉氏や公方を牽制した。やや基盤が脆弱だった扇谷上杉氏が山内上杉氏に対抗できたのも、道灌の政治力と外交力によるところが大きい。

道灌はまた軍事的センスも高かった。水陸交通の拠点である江戸の戦略的重要性に着目し、江戸城を大改修して河越城、岩槻城などの諸城を結ぶネットワークを構築。強固な防衛ラインを完成させて、勢力圏を安定させた。

政治や軍事に万能の才を発揮して主家を繁栄させた道灌だが、唯一欠けていたものがある。 それは、大軍師を使いこなせるだけの器を持つ大将と出会えなかったことである。代々が扇谷上杉氏の重臣の家柄に生まれた道灌に、自分で主君を選ぶ自由はない。

文明五年(1473)に扇谷上杉氏の当主となった上杉定正は、請疑心の強い人物だった。 また、道灌の名声が高まるにつれ、自分の存在感が薄くなることに嫉妬と焦りを覚えていたともいわれる。

そのため、「道灌が謀反を企んでいる」というのを真に受け、配下に命じて道灌を暗殺してしまうのだ。 入浴中に刺客に襲われた道灌は死の間際に「当方滅亡」と、扇谷上杉氏の未来を予言した。 こんな主君では乱世を生き抜けないと、その予見は後々みごとに的中する



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