松永久秀は誰にも真似できない悪行を戦国武将一やってのけた

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松永久秀

織田信長も脱帽した誰にも真似できない悪行の数々
1. 冷酷度5
腹黒度5
変態度4
鬼畜度5

上杉謙信や直江兼続のような、ぱっと見には正義感あふれる人物でも、一皮剥けば悪魔の顔があらわれる。

悪行をおこなわなければ生き残ることも難しい乱世だけに、「非情」とか「悪」などと言って糾弾している主殺しや裏切りも、じつは当時は、現在ほどは非難の対象になるようなことではなかったりもするが、この男だけは別格。当時から、ワルの中のワルとして鼻つまみ者だった。

「この男だけには油断するなよ。すでに三つの大罪を犯しているからな」とは、織田信長が久秀を徳川家康に紹介した時に言った有名なセリフである。

久秀の犯した大罪、その中でも最も重罪なのが室町幕府13代将軍・足利義輝の殺害だろう。いかに下剋上や主殺しが横行した時代とはいえ、そんな事をすれば後でどんな罵りをうけるかわからない。武家社会の頂点にある将軍を殺そうなんて度胸のあるヤツはいなかった。

しかし、この男は平然とそれを実行した。しかも暗殺などと姑息な手段を選ばず、堂々と大軍で館を囲んで攻め殺したあたりは、ある意味、立派ともいえるのだが。しかし、この出来事は後におこる織田信長の比叡山焼き討ち事件と同様、日本全国を震憾させたセンセーショナルな事件であった。

このあたり、信長と久秀はけっこう通じるモノがある。邪魔する者はたとえ何者だろうが容赦しない。アウトローたちの世界ではその前科によりハクがつき、仲間内で一目おかれたりするが、将軍殺しはそのインパクトも絶大だった。


三好長慶の兄弟や息子を次々に暗殺
2. また久秀は、将軍殺しのための軽い予行演習とでもいうように、主君の一族を皆殺しにしている。

彼はもともと畿内の覇者である三好長慶の家臣だったが、長慶に取り入って重臣として台頭するようになると、長慶の弟で一本気な猛将であった十河一存と対立。そこで一存を有馬温泉へ湯治に誘って暗殺してしまう。

これを手始めに、同じ弟でも用心深い智将タイプの安宅冬康は、謀反のデマを流され自害に追い込まれる。仕上げに長慶の嫡男である義輿も毒殺したといわれる。

長慶が病死した時、すでに一族の有能な者たちは殺され、久秀と三好氏の一門や重臣による小悪党の三人組、いわゆる三好三人衆によって三好家の実権は掌握される。

しかし、悪党たちの蜜月関係は長くつづかず、やがては仲間割れ。奈良において久秀と三好三人衆の合戦が勃発すると、この時、形勢不利となって東大寺境内に敗走した三人衆の軍勢に対して、久秀は火をかけて大仏殿ごと焼き払っている。

「大仏殿に逃げ込めば、久秀も仏罰を恐れて手をだせまい」と考えるのは、しょせん小悪党の浅知恵。 この男にかかっては、将軍様も仏様も眼中になし。

邪魔なものはすべて殺し、破壊してしまう。同じワルでも、仏様の懐に逃げ込んで窮地を脱しようなんて輩とはそのスケールと覚悟が違うのだ。

三好家への仕官以来、裏切りの連続。裏切りはこの男のクセというか性癖というか信長に臣従してからも、この悪い癖は治らない。あの怖い信長を裏切るくらいだから、この癖は筋金入り。

信長からは、彼が所蔵する名器「平蜘妹茶釜」を差し出せば助命すると言われたが、「お前には何もやらん!」と、大量の爆薬に点火して茶釜もとろとも壮絶な爆死。最後まで人々を震憾させた。



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