島根県・松江城|町全体の雰囲気も魅力で実戦に備えた城
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松江城(島根県松江市殿町1-5)
松江城について
松江城は、江戸時代初期の慶長16年(1611)に堀尾吉晴によって、宍道湖に臨む亀田山に築かれたものです。
慶長5年の関ヶ原合戦で徳川家康に従った吉晴は、戦後出雲・隠岐二国を与えられ、月山富田城に入りました。時代はすでに山城の使命を終わらせており、平地に新城の建設を計画します。
しかし、吉晴はもう老齢に達していたので、家督は嫡子忠氏に譲りました。ところが、同9年に忠氏が若死にしてしまい、やむなく孫の忠晴に家督を継がせます。同12年から築城に着手、5年かかってやっと完成させました。
城は、山の高所に本丸を置き、南へ順に低くなって二の丸・三の丸が築かれています。本丸周囲の東・西・北面には腰曲輪・帯曲輪を巡らせました。
本丸の東北部に建てられた天守は、5層6階で、南側正面中央に附櫓があります。大入母屋屋根の上に望楼を載せた古い形式で、桃山時代初期の木造化粧造、松本城や丸岡城などにも見られる黒の下見板張の外観が特徴です。昭和10年に重要文化財に指定されています。
松江の城下町は水と橋の町です。見どころとして、格子造りの武家屋敷、藩主菩提寺の月照寺、茶室明々庵、小泉八雲の旧居、同記念館などがあります。
宍道湖を望み、日本三湖城のひとつである松江城は、四季の自然に映える名城として訪れる人を魅了する。
織田
信長から普請上手と評された堀川吉晴が、自ら陣頭指揮を執って築城したというこの城には、実戦を想定した仕掛けが随所に施されている。城攻めに備えて屈曲させた
石垣、「太閣記」作者の小瀬甫庵らと鉄砲戦を勘案して作った階段式城郭などの機能美は必見だ。
また外観は、華美ではないが格式高い「佗びた」風情がみどころ。柿渋を建った黒い壁面、千鳥が羽を広げたような美しい形の入母屋破風、重厚な望楼式天守、本製だが最大の鱗鉾… 城と城下の美しさから、この地を中国の景勝地と同じ「松江」と名付けたという説もあるほどだ。
そんな歴史に想いを馳せ、
天守を上がればそこに広がるのは大山と宍道湖、日本海を見渡せる360度パノラマビュー。絶景が待っている。
松江城もここ数年間で大きく変わった。二の丸の南
櫓、中櫓、太鼓櫓が、埋門、中仕切門と共に土塀を伴って復元されている。この復元は取り壊し以前の明治初年の古写真と発掘調査の結果に基づきなされた。島根県庁のある三の丸方から松江城を望むと、廃城前の壮宏な姿の一端がしのばれる。
松江城といえば、やはり天守建築が代表的だ。城址には、標高29メートルの亀田山に戦国武将堀尾吉晴が慶長15年(1610)に築いたその天守が残る。地元で千鳥城と呼ぶこの天守建築は、同じ烏でも白鷺城(姫路城)の眩い絢燗さに比べて、黒い壁面が下川を覆い、どっしりとして動ぜざるように破風が広がる。
この天守を見た人は一様に、重厚さの中に秘められた戦国武将の知恵に圧倒される。天守も実際より大きく堂々と見える。これは二階妻側にある大きな入母屋破風と二階の出張った壁面にある。大きな入母屋二階づくりの屋根上に三階部分がのっているが、二階が一階より大きく出張っているのは、この部分が「石落」と呼ぶ攻撃用のつくりになっているため。
天守石垣にとりついた敵兵を、この二階出張りから石や矢で追い落とす仕組みだ。さらに、地階に塩貯蔵庫を設け、火災予防のため床を瓦敷きにし、深さ24メートルの井戸を掘っていることでも判るように、籠城戦に備えた様々な工夫がこらされている。一階には人質たちを収容する部屋、四階西側には城主専用の剛もある。
高さ30m、五層六階の天守は桃山格式で築城当時のまま現存し、国の重要文化財に指定されている。築城に慶長12~16年の5年間を要した。1611年に竣工したが、堀尾吉晴は同年この完成を目前に急死した。現在は松江城山公園として観光名所になっている。
城郭を含めた町全体の雰囲気がきちんと残されている城です。慶長5(1600)年、
関ヶ原の戦いの戦功により、堀尾吉晴・忠氏父子が、24万石で出雲・隠岐の太守となり月山富田城に入城、松江藩が成立します。
しかし、ここが近世城下町形成には不利であったため、新たな居城として、
夕日の美しい宍道湖のほとり、亀田山に築城されたのが松江城でした。しかしながら、堀尾家も、次に入った京極家も嗣子なく絶家となったため、松平直政が松本城より入城し、以後、明治維新まで町代にわたって居城としました。
白漆喰の部分は少なく、ほとんどが黒い下見板張りで覆われていたり、たくさんの矢ざ間、鉄砲狭間、石落としなどが設けられていたり、本丸の周囲を多聞
櫓で囲んでいたりと、非常に無骨な、実戦に備えた造りをしています。
しかし、その一方で、正面から見ると、「千鳥城」という別名の示すとおり、千鳥が羽を広げたような入母屋破風が配されるなど、繊細な美しさもたたえている。この両者のバランスこそが松江城の何よりの魅力なのです。
ぐるっと松江堀川めぐり
松江城は、掘割があって城下町があってと、周辺の雰囲気も含めて堪能できる、とても素晴らしい場所だと思います。
おそらく、これだけ昔ながらの町並が残っているところというのは珍しいのではないでしょうか。この町並を楽しむのであれば、ゆっくり散策するのもひとつ、でも、遊覧船でお堀をめぐってみるのもいいかもしれません。
全長3.7キロのコースを55分間かけて回る『ぐるっと松江堀川めぐり』という、お堀めぐりのツアー。
3カ所の発着場所から乗り降りできますので、ぜひ一度トライしてみてください。
見どころ&城情報
現存みところ 二の丸
別名千鳥城とよばれる松江城。その由来は、天守平側にある置千鳥破風と、二の丸に近年復元された櫓群。二の丸は石垣上に二層と単層の櫓が塀で結ばれ、県庁前から見ると、その荘華さに思わず足をとめるほどだ。
イベント 松江開府400年祭
2007年(平成19年)に開府400年という記念すべき節目をむかえた島根県松江市。開府記念年である2007年から、松江城完成400を迎える2011年(平成23年)までの5年間に、さまざまなイベントが開催された。
松江城
国重要文化財
天守
別名 千鳥城(ちどりじょう)
分類 平山城
築城年 慶長12(1607)年
築城主 堀尾吉晴、忠氏
主な城主 堀尾氏、京極氏、松平氏
島根県松江市殿町1-5
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