福井県・丸岡城|派手さがないのが逆に魅力
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丸岡城(福井県坂井市丸岡町霞町1-59)
丸岡城について
丸岡城、決して派手ではありませんが、質実剛健で、まるで古武士のような佇まいがかえってたまらない魅力になっています。
越前平野北部にある独立丘に築かれた平山城である丸岡崎。丘頂に本丸を置き、東に東の丸、北に二の丸を設け、それを囲むように三の丸が設置されています。
丸岡城は、安土桃山時代の天正4年(1576)に、織田信長の武将である柴田勝家の甥の勝豊が越前平野の「まるこの丘」に築いた城です。別名を霞ケ城というのは、「人柱となったお静が、城を守護する大蛇となって天守下の井戸に棲み、敵に包囲された時に、霞を吐いて城を包み敵の目をくらました」という伝説があるからです。
丘頂の本丸を中心に、二の丸・三の丸が連郭式に設けられ、その周囲は、広大な五角形の内堀で囲まれています。堀幅の広いところでは50間(約91メートル)にも及んでいました。
本丸には三層三階の望楼型天守が建てられ、城下町造りも進められます。櫓の上に望楼を載せた初期型天守です。屋根には福井特産の笏谷石で作った石瓦が載っています。ただし、天守の築造年代については、天正4年の築城時と同時期ではなく、構造的な面から慶長年間(1596~1614)以後ではないかとも考えられています。
江戸時代の城主は、本多・有馬氏と続き、明治維新を迎えました。北陸地方では唯一の現存天守ですが、昭和23年の福井大地震で倒壊してしまいます。
昭和23年(1948)の福井大地震の際に天守が倒壊しながらも、その7年後に古材を用いて修復。再建されている丸岡城。天守現存の城の中でも、最古の建築様式をもつ城の歴史を紐解くと、織田信長と一向衆との壮絶な戦に辿り着く。
越前地方で天正3年(1575)に起こった一向一揆で、信長が派遣した柴田勝家を中心とする7万の大軍が一向衆を殲滅し、この地方を平定した。その際、敵の拠点のひとつであった豊原寺を勝家の甥・勝豊に与えたのだが、地の利が悪かったため、西に4km離れた丸岡に築城した。これが丸岡城だ。
戦乱の世真っ只中に築かれただけあって、直線的な破風や黒い板壁、福井産出の笏谷石を使った石瓦のほか、望楼や銃眼、物見窓など、戦のための仕掛けが生々しく残っている。貴重な歴史の生き証人である。
同25年に重要文化財の指定を受け、同30年に修復再建されました。現在は天守の一角だけを残して昔日の面影は失われましたが、周囲に100本の桜が植えられ、春には「花の霞ケ城」の名をほしいままにしています。
丸岡城には、古武士の姿に似る質実剛健な飾り気のない
天守がある。この天守のもつ古色でかつ味わい深い佇まいは、現地を訪れてみないと決して判らない。この天守は現存する日本最古の天守建築で、造営は天正3年とも翌4年ともいわれる。安士城天守出現と同時期のものだ。
最近では、一部に江戸時代初期説もあるが、構造・外容を検討する限り、やはり最古の姿をとどめているといえる。こんな古い天守建築だが、国宝ではない。実は戦後まもない昭和23年の福井大地震で天守建築は一度崩れてしまい、今建つ天守は、崩壊した木材を用いて組み画した建物だからだ。旧材を用いての天守は、内部構造の一部を除いて旧態どおりである。
天正4(1576)年、柴田勝家の甥、勝豊によって築城されたこの城は、明治になって一時官有地になったものの、明治5(1872)年頃に民間に払い下げられ、
天守は取り壊しを免れました。
その後、明治5(1901)年に丸岡町に寄付されます。大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を載せた二重三階の望楼型天守は、現存最古のものではないかという説もあります。
6メートルほどある野面積された
石垣の天守台にそびえる姿は、古いお侍さんが凛々しく立つ姿そのもの。見ているだけで心が落ち着いてくるのです。
手紙文を刻んだ碑
丸岡と言えば、最近は『日本一短い手紙』の『一筆啓上賞』で有名になりましたが、これは
徳川家康の功臣、本多作左衛門重次が陣中から妻に送った手紙「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」にちなんだものです。
短い中にも離れた家族を温かく慮る気持ちや、過不足なく用件も盛り込まれていて、簡潔な手紙のお手本とされるものですね。
この手紙の中に出てくる「お仙」というのが、後の越前丸岡藩主、本多成重(幼名仙千代)のことで、丸岡城内にも、この手紙文を刻んだ碑が建っています。
見どころ&城情報
現存みどころ 石のシャチホコ
丸岡城の見どころのひとつは、凝灰岩の一種で笏谷石という石でつくられた瓦で天守が葺かれている点だ。同様にこの石を彫刻してシャチホコなども用いられている。福井大震災で落下したシャチホコが天守入口脇に展示されている。
イベント 丸岡古城まつり
毎年10月に開催される祭り。丸岡城で出陣式が行われた後、子ども大名行列や、からくり人形山車が練り歩くパレードが披露される。市民による総踊りやおじゃれ餅まき、よさこい踊りなど、フィナーレまでイベントが目白押し。
丸岡城
国重要文化財 天守
別名 霞ヶ城(かすみがじょう)
分類 平山城
築城年 天正4(1576)年
築城主 柴田勝豊
主な城主 柴田氏、安井氏、青山氏、今村氏、本多氏、有馬氏
福井県坂井市丸岡町霞町1-59
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