小早川隆景は合戦より外交や調略などで活躍した知将
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小早川隆景
戦術5
知力7
政治力10
忠誠心10
運7
毛利氏の外務大臣である隆景
1.毛利元就の三男に生まれ、瀬戸内海沿岸に勢力を持つ小早川氏を相続した隆景。山陰の豪族である吉川氏の養子となった二男の吉川元春とともに、当主となった毛利輝元を支え「毛利の両川」とも呼ばれるようになる。
戦上手で気性の激しい猛将だった兄の元春とは正反対に、穏やかで思慮深い性格だったという。合戦よりもむしろ、外交や調略などで活躍した知将タイプだ。
毛利氏は約定を必ず守る律儀さで、
秀吉や家康からも信頼されたが、それはそのまま毛利氏の「外務大臣」である隆景の気質が投影されたものだった。
隆景は毛利輝元の叔父であり、元春とともに家中随一の大物だった。それだけに、
毛利氏の将来を見据えた戦略レベルの物事にも発言権や決定権を有している。並の軍師や外交担当ではない。
隆景がその大物ぶりと鋭い外交感覚を発揮したのが、秀吉を相手にした備中高松城の開城交渉。交渉の途中、本能寺の変で
信長が殺されたことを悟り、隆景をそれを知っていたといわれる。
交渉がまとまって秀吉が陣払いして姫路へ退却しようという時、同じ陣中にいた吉川元春が異変を察知して追撃しようとしたが、これを止めたのも隆景だった。
秀吉の天下獲りを予見して、その枠組みのなかで優位な立場を保つ。そのためには、ここで恩を売っておいたほうがいい。誠実な人柄だけではない。損得を考えた怜例な判断も瞬時にできる。
また、未来を見通す鋭い分析力は、幼少の頃から兼ね備えた資質だったという。毛利氏がまだ安芸の弱小勢力だった少年時代、隆景は近隣の強固だった大内氏の人質となった経験がある。
この時、大内家中を冷静に観察して、「いずれ滅亡する」と、予見したという。実際、歴史はその通りになった。兄の元春もそれを知るだけに、激情に逸って秀吉を追撃することなく、隆景の判断に従ったのだろう
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