吉川元春は弟の小早川隆景と違って気性の激しい生涯負けなしの猛将
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吉川元春
戦術9
知力6
政治力6
忠誠心10
運5
弟の小早川隆景とともに毛利氏を支えた
1.毛利元就の二男。山陰の山間に割拠する豪族・吉川氏を相続し、弟の小早川隆景とともに毛利氏を支えた。
穏やかな人格者の隆景とは違って、気性の激しい猛将というのが定説になっているが生涯76回の合戦を経験して一度も負けなし。驚異的な勝率に加えて、不利な戦場では突出せず、粘り強く対処して引き分けに持ち込む思慮深さも兼ね備えていた。
猛将のイメージが強すぎるのは、闘争心が表に出てこない父の元就、弟の隆景に代わって毛利勢の士気を鼓舞するため、わざとそのように振る舞ったとも考えられる。
弟の隆景とともに備中高松城救援に向かった時にこんな逸話がある。元春は撤退する豊臣
秀吉の軍勢を追撃することを強く主張。隆景と意見が対立する。あるいは元春には、毛利氏によって天下を統一するという野望があったのかもしれない。それが可能と思える状況でもある。今となっては、元春と隆景、どちらの判断が正しかったのかは分からない。
毛利氏が豊臣政権に臣従しても、元春だけは秀吉を嫌う態度をみせて距離をおいた。あげくに隠居して、四国征伐にも参加しなかった。
あるいは、これも計算か?「お前を信頼してるわけではない。調子に乗るなよ」という無言の圧力をかけて、秀吉の自重を促そうとしたのかもしれない。臣従するにしても、イエスマンでは舐められて損な役回りを押し付けられる。
猛将の脱みが必要だった。隆景が温厚な態度で秀吉を懐柔し、元春が鋭い眼光で監視する。両川が絶妙の役割分担で、豊臣政権に対処したのではないだろうか
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