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前田慶次は利家の義理の甥で自由奔放に生きた戦国一面白い男

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前田慶次名言集(常山紀談)

たとえ大大名たりとも、心のままにならなければ、卑しい男となんら変わりはない
前田慶次(常山紀談)

1.前田慶次、記録に残るなかで、戦国一面白い男といえる。自由奔放に生きた。 加賀の大名・前田利家の義理の甥だったが、若い時に15年も浪々の生活をした

そこで和漢古今の書に親しみ、「源氏物語」「伊勢物語」に明るく、連歌を第一人者の紹巴に学び、茶道は古田織部に皆伝を受けた。武道の腕もなかなかで十八般に通じていた。

利家から五千石をもらったが、平穏で堅苦しい前田家の生活が性に合わなかった。彼はいたずら好きで、人を食ったところがあった。そこで利家はたびたび慶次を説教した。こんな利家が煙たくて仕方がない。窮屈な世界はもう嫌だと出奔を考える。しかしひとあわ、利家にふかせたいと思った。

そこで神妙に、お茶に招待したいと、自宅に利家を招待する。慶次も少しは反省したかと喜んで招待を受けた。「まずは湯風呂でくつろがれよ」と、慶次は利家を浴所に案内し、湯船に手を入れ「丁度よい湯加減」と笑った。

それを信じて、利家は何の疑いもなく湯船に飛び込めば、これが寒水だった。利家は「馬鹿者、欺かれた、連れて来い」と供の者に怒り叫んだが、それより早く、慶次は松風という逸物の馬を裏門に隠していて、これに打ち乗って加賀国を逃げ去った。

慶次は直江兼続の人柄に惚れて、上杉景勝に仕えるが、初目見えに持参したのが土大根三本。これをうやうやしく台にすえて御前に罷り出たので皆はびっくり。 「この大根のように見かけはむさ苦しいが、よく噛みしめれば味のある拙者でござる」といってのけたのでまたびっくり。

そして「禄高はどうでもいい、気ままに務めさせて欲しい」が仕える慶次の希望だった。ここで一千石を食む。

関ケ原合戦では、上杉は最上氏と戦い長谷堂城を囲む。この撤退時、慶次は殿を願い出て、三間柄の大槍を振って敵を撃退した。

慶次の旗指物が愉快だ。「大ふへん者」と書いてある。人々は「あまりのこと」といえば、慶次「お前たちはこれを『武辺』と読んだのだろう。我は落ちぶれて貧しければ、『大不弁者』という意味だと皆を煙に巻き、悦に入っていた。

上杉氏が百二十万石から三十万石になる。慶次は一万石で雇いたいとの他からの誘いも断り、三百石に減らされても平然として、隠居後は我が家を「無苦庵」と呼んで、名利にとらわれない生活を米沢で送った。



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