埼玉県・川越城|童謡とおりゃんせが生まれた怖いエピソード
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童謡とおりゃんせは川越城で生まれた
川越は河越・川肥と中世に書き、秩父党の河越氏の領する地だった。川越城は長禄元年に太田道真・道灌によって本格的に築城され、扇谷上杉氏の武蔵経営の拠点となった。
現在では埼玉県有形文化財に指定されている、嘉永元年(1848年)に建てられた本丸御殿の玄関部分と移築復興された家老詰所のみが現存する。また、二の丸祉が川越市立博物館・川越市立美術館として利用されている。
子供の頃から誰もが口ずさんできた童謡には、なぜかミステリアスな噂がつきまとっているものが多い。「とおりゃんせ、とおりゃんせ」でおなじみのとおりゃんせは、川越で誕生したといわれている。
さて、とおりゃんせの歌詞を思い出してみよう。
「とおりゃんせとおりゃんせ ここはどこの細道じゃ天神様の細道じゃ」
というフレーズで始まり、子供が7歳のお祝いに天神様へお参りをする様子が歌われている。この神社こそ、川越にある三芳野神社だといわれているのだ。
三芳野神社は川越城築城にあわせて城のなかに移築され、「お城の天神様」と呼ばれていた。そのため、城の南大手門をくぐり、小道を進んでやっと神社にたどりつける。これが歌詞に出てくる「天神様の細道」になる。
ところが、この三芳野神社は城内にある神社だけに参拝時間も決められていて、庶民は気軽に参拝できなかった。まさに用のないものは通さない、これも歌調そのままだ。
そして、参拝するにも城を守る待たちの監視からは逃れられない。特にその帰り道には城に紛れ込む者を防ぐため、厳しいチェックが待っていたという。これが「行きはよいよい帰りは怖い」という歌詞の由来となっているのだ。
川越城の跡地は現在では公園となっていて、三芳野神社もそのなかにある。緑も多く、「小江戸」川越を訪れる観光客や市民の憩いの場となっている。
その様子からは、『とおりゃんせ』に歌われた堅苦しい空気は感じられない
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