愛知県・犬山城|戦国時代の激戦地で時代劇の舞台になっている
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犬山城(愛知県犬山市犬山北古券65-2)
犬山城について
木曽川が背後に流れる標高80メートルの断崖上に築かれたお城で、本丸、杉の丸、樅の丸、桐の丸、松の丸が階段状に配置される典型的な『後堅固』の縄張を持つ平山城です。
丘陵上に建てられた犬山城天守。現存12天守のうちのひとつであり、古い様式を残した三層五階地下一階の望楼式天守だ。
犬山城の築城者と築城年代には、諸説あります。一般には、戦国時代の天文6年(1537)に織田信長の叔父信康が、木曾川南岸の三光寺山(三狐尾寺山)に築いた平山城に始まるとされています。
現在の天守の位置には、針鋼神社が祀られていましたが、これを移してこの跡地に築城しました。江戸時代に入ると、尾張名古屋藩付蕊成瀬氏の城となり、幕末まで続いています。
木曾川の南岸、標高80メートルの丘陵を本丸として、二の丸・三の丸を配置した梯郭式縄張によるものです。現在は、本丸・二の丸の石垣と天守力覗存していますが、天守の梁は木組みで、急傾斜の段梯子などに旧状をとどめています。
昭和36年に行われた修理工事報告書によると、まず天守の1、2階の大入母屋を付けた部分力創建され、次に3、4階の望楼部分力轄築されました。さらに南北面に唐破風を付け、4階の勾欄が周囲を巡るように改められ、現在のような姿となったといいます。
この天守の特徴は、わが国に現存する12の天守のなかでもっとも古いということです。個人の成瀬家所有で、国宝に指定されています。城を、木曾川の対岸の鵜沼あたりから見たり、犬山大橋あたりから見ると、夕暮れの城のシルエットなど情感的なシーンに出会えます。
日本ラインこと木曾川が尾張平野にさしかかるところに屹立する古城がある。緑深い山の頂に天守がそびえ立つ。滑々と流れる木曾川に緑と共に映ずる眩いばかりの白亜の城を、中国の李白の詩になぞらえ「白帝城」といったのは荻生祖株であった。
犬山城は国宝の天守があることで知られている。現存最古と地元の案内書にあるが、解体修皿の結果、伝承にあった金山城からの移築説は否定され、造営年代は不明。上部の3、4階は江戸時代初期につくられたことが判明し、現存天守のうちで最古の天守建築の姿を伝えるものの一つとなった。
この国宝天守は、正面に付櫓を出張らせた複合式天守で、入口である地階の踊り場を含めると内部六重、外観三膳である。石垣上の1階と2階はほぼ同一の大きさで9間に8間。大入母屋の屋根にのる、上の3階、4階とは異なる構造である。
1階は武者走と呼ぶ廻廊下内に四部屋を仕切る。そのうち西南の部屋を「上段の間」といい、12畳敷きで床の間と床棚が設けられ、天井は猿頬天井となっている。篭城戦の折に城主の居所となる場所だ。
犬山城の最大の魅力は、なんといっても現存最古といわれる木造天守だろう。
外観のみ復元され、コンクリート造りになっている天守も多い中、すべて木造、釘1本に至るまで城郭建築初期の構造。手法が残るこの城は、当時の姿を今に伝える貴重な語り部である。築城当時の木材が多く残されており、歩くたびにミシミシ鳴る廊下の音や床の隙間などが、在りし日の城の様子を思わせ、想像力をかき立てる。
また敵の攻撃に備えたものと考えられる狭くて急勾配の階段や、畳が敷き詰められ、武者隠しを備えた城主の居住スペース「上段の間」がほぼそのままの状態で現存されているのも特筆すべき点。晴天の日には遠く、岐阜城や小牧城、名古屋城までが見渡せる望楼型の天守最上階で、それらの城とどんな戦があったのか想像を膨らませつつ、眼下に広がる景色を楽しもう。
いくたびも戦いの舞台になり、落城も経験しながら天守が残っているのは珍しいと言えるでしょう。めまぐるしく城主が入れ替わりましたが、元和3(1617)年、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となってからは、そのまま9代にわたって受け継がれていきました。
結局、明治になっても廃城を免れ、明治28(1895)年、成瀬家に譲与され、平成16(2004)年3月まで個人所有のお城であったことも特徴的だと言えるでしょう。
時代劇などでよく登場する犬山城
織田信長の叔父、信康によって築城されたこの城は
信長、秀吉、家康がからんだ場所でもあり、何度も戦いの舞台になっているので、時代劇などではよく登場する場所です。
特に天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いでは、この犬山城は、秀吉が陣を構えて、小牧山城に本陣を張る織田信雄・
徳川家康連合軍と睨み合った場所。大河ドラマでも、『
秀吉』『利家とまつ』、『功名が辻』など、数々の作陥がこの戦いを取り上げています。
犬山城の別名「白帝城」は、江戸時代、ここを訪れた儒学者荻生祖らによって名づけられたと言われています。木曽川沿いに建つこの城の佇まいを、長江流域の丘の上にある白帝城を詠った、中国盛唐の詩人・李白の詩『早溌白帝城』にちなんだとのこと。木曽川を渡ったところから、凛々しい天守閣の姿を味わっていただきたいと思います。
また、最近は周辺の城下町がよく整備されてきています。ここは、総構えと呼ばれる、城と城下町の外周を堀で囲い込んだ城郭構造を、江戸時代の切絵図と殆ど変わらずそのまま残していて、町のあちらこちらに、犬山祭で使われる車山を納めた車山蔵や、古い町屋やお屋敷が見られるのです。
お城を見た後に、ゆっくり散策して江戸時代の雰囲気に浸ってみるのもいいかもしれません。さらに、木曽川では鵜飼いも楽しめます。鵜飼いそのものが始まるまでに、鮎の塩焼きを売っている船とか、花火を売っている船、踊りを見せる船など、出店のような船がどんどん出てきて、鵜飼いの前段ショーのようなものが始まります。こちらも大いに楽しめますよ。
見どころ&城情報
現存みどころ 木曽川と犬山城
日本ライン木曽川の急流に臨む犬山城は、その美しさから白帝城とも呼ばれる。天守は地階から入るが、地階に東西に渡された大引という床の根太を支える大支柱は見どころのひとつ。一階上段の間は、最上階の望楼とともに最古の天守といわれる理由だったが、上段の間に帳台構、押床は望楼とともに解体修理の結果、江戸時代に付け加えられたことが判明。
イベント 犬山祭
1635年(寛永12年)から始まった祭りで、毎年4月の第1土・日曜開催。愛知県の有形民俗文化財に指定されている三層の車山が13台練リ歩き、力ラクリ人形を披露。夜には車山に提灯が灯され、満開の桜並木の間を歩く様子は、まさに豪華絢爛。
犬山城
国宝 天守
別名 白帝城(はくていじょう)
分類 平山城
築城年 天文6(1537)年
築城主 織田信康
主な城主 織田氏、池田氏、小笠原氏、成瀬氏
愛知県犬山市犬山北古券65-2
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