軍を率いて戦った有名武将の旗印のデザインセンスを比較

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武将たちが掲げた旗印の種類

1.軍を率いて戦いに挑んだ武将たちが掲げた「旗印」。そこには各々の性格や信念がアイコン化されている。武将たちのデザインセンスをチェック。

徳川家康
由緒正しき「徳川葵」

徳川家の家紋として有名な、丸に三つ葉葵の紋。徳川幕府を開いたあとには、徳川将軍家一族の使用に限られることに。初期には白地に葵の絞を3つ並べた軍旗を使用。 ほかに「厭離穢土欣求浄土」(えんりえどごんぐじょうど)と書かれた旗も使用していた。

伊達政宗
伊達男の原点「紺地に金の丸」

政宗が秀吉の命で朝鮮出兵に従軍したとき、部下にあつらえさせた戦装束が豪華絢爛で奇抜なものであり世間を騒がせたことが伊達者という言葉の由来となったといわれる。紺地に金、という配色も政宗が好みそうな酒落た配色といえるだろう

武田信玄
戦国最強の証「風林火山」

戦国時代最強の武士たちが掲げていた軍旗は「風林火山」 として名高い。疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、動かざること山の如しという意味

真田幸村
死を恐れず戦う心意気の「六文銭」

真田家が家紋として用いた六文銭は、冥銭を表す。冥銭とは、冥界への入り口である三途の川の渡し賃として亡くなった人の棺の中に入れるもの。死を恐れず決死の覚悟で戦うという意味が込められている

上杉謙信
厚い信仰心が掲げさせた「毘」の旗

毘沙門天の熱心な信者で、自らをその化身と称して振るまっていた謙信。自らの居城・春日山城にもわざわざ毘沙門丸を設けるほどの入れ込みようだった。軍旗にも迷わずそこから1字とって「毘」を用いた

織田信長
意外にも経済ツウ!?「永楽銭」

旗印として使った永楽銭は明国から輸入され、当時日本全国で広く使われていた通貨。他の武将たちが武力誇示や自らの信仰情念を掲げたのに対し、いちはやく貨幣による経済の重要性を認識していた信長。その先見性はやはり他と一線を画している

豊臣秀吉
とにかく派手好き、が選んだ「総金」

天下一の派手好き、としても知られる秀吉。軍旗ももちろん派手。家紋を誇示するでもなく情念を掲げるでもなく、とにかく一筋にキンキラキン。信長の許しを得て使っていた馬印(旗の形をしていないもの)も、金の瓢箪だったというから筋金入りだ

前田利家
菅原氏の末裔を名乗る「加賀梅鉢」

尾張国の土豪であった前田家が大名になったのは、この利家の代のことである。加賀藩主前田氏の祖となった利家は平安時代に菅原道真を出した菅原氏の末裔を名乗ったため、菅原氏にゆかりの深い梅を紋にした

毛利元就
大江氏から続く「一文字三星」

鎌倉時代に源頼朝に仕えた大江広元。その末裔の一派が、安芸出雲国の毛利氏である。家絞は大江氏の遠祖、阿保親王が叙された「一品」を図案化したもの。三つ星はオリオン座の中央の恒星のことで戦いに勝利する将軍を表すという

明智光秀
水色に染め抜かれた「桔梗敏」

本能寺の変でも立てられたであろう、明智光秀の水色桔梗紋。光秀の出自である美濃土岐氏が、桔梗を兜にさして望んだ戦に勝利をおさめたことから、その縁起をかついで家絞に使用し始めたといわれている


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