竹中半兵衛は山内一豊と逆に高値な馬を買うべきではないと言う理由とは
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竹中半兵衛名言集(常山紀談)
身分不相応な値の高い馬は買い求めるべきではない。よき馬ゆえにかえって名を失うこともある。
竹中半兵衛(常山紀談)
1.山内一豊には、長く浪人をしていたにもかかわらず、織田
信長の天覧の馬揃えに、妻千代の才覚で、身に余る名馬を買い求めることができ、それが出世の糸口になったとの逸話がある。
ところが羽柴
秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛重治は、身に余る高値の馬を、武士は買うべきではない、それがかえって、戦場において、災いのもとになるというのである。
なぜかといえば、その馬に乗った時、よい敵を見つけて追い詰めて、さてその馬から飛び下りて戦うことができるだろうか。あるいはまた、槍を合わせんと降りた時、馬付きの従者が追いかけても追いつけず、その馬がよその人のものになってしまう。
また、このような
名馬はなかなか手に入れづらいと思う心が先に立って、つい勝機を逸してしまう。だから、身分違いの高価な馬を所有すれば、かえって戦いの障害になると半兵衛重治はいうのである。
この重治の言葉で思い出される出来事が一豊にはある。天正元年(1573) 朝倉氏と信長軍が万根坂(福井県敦賀市)で戦った際、秀吉にまだ仕えたばかりの一豊は、馬で敵を追いかけた。殿にいた三段崎勘右衛門を馬上から槍で突こうとした際、相手が放った弓矢が顔に刺さった。
だが一豊はひるまず勘右衛門に組み付く。二人は落馬し、谷間をころげ落ち、結局、一豊が首を取った。
一豊の馬を追いかけて走ってきた従者の五藤為浄が、ここでやっと追いつき、顔に刺さった矢を抜いた。だが一豊は重傷で、歩行困難な状態だった。そこで馬に乗せて陣に引き揚げようとしたが、一豊の愛馬がいない。よく見ると前方の敵陣のなかにいた。
為浄は仕方なく、一豊を肩に抱えて引き揚げる途中、戦死した武者の馬がウロウロしていた。そこでその馬を拝借して一豊一を乗せて帰ったと、山内家史料「一豊公紀」に出てくる。
重治はいう。下級武士は金十両で馬を買おうとするなら、五両の馬を買うべきである。惜しげもなく、五両の馬を乗り回し、飛び下り、乗り放ち、戦いの好機には捨てるのがいい。そして残った五両でもう一度、馬を買えばいいのである。このことは馬に限らず、ほかのことにも当てはまる。
武士は義によって、身を捨てるべきことこそ重要で、財宝の虜になるべきでない。これが武士の本意であるというのである。
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